2020年の活動休止期間を経て、演劇ユニットそめごころはアーティストコレクティブ〈そめごころ〉として活動を続けることとなった。
きっかけは、活動再開にあたって、メンバーそれぞれと話す機会を持った際、メンバーの上野隆樹が「そめごころでも自分の作品を発表したい気持ちはあるが、誰もそれを期待していない気がする。」と私に語ったことだった。ふりかえってみれば、それまでのそめごころは対外的にも、実態をみても、石田聖也の演出する演劇作品を発表する団体だったように思う。しかし、メンバーは演劇に限らずとも、自分の表現ジャンルで、自分と社会との関係性の中で作品を世に送り出そうとしていたのだ。
私は演劇の総合芸術としての懐の深さが気に入っている。演出家の専門性はどの専門家でもないことだ、なんてことをよく言っていたし、そこには既存の、価値観が固定化された社会では味わえない出会いで溢れていた。だから、そめごころの活動コンセプトを「総合芸術の実践」とし、普段は活動地域もジャンルも思考もバラバラなメンバーが、自分たち集団(或いは共同体)の価値観を新たに構築し、集まった時に爆発する、誰も観たことのない作品を世界に発信するグループに育てていこうと思った。そして、誰よりもメンバーの創る作品、メンバーと創る作品に私自身が期待していたいのである。
けれど、まだ夢の果ては遠い。アトリエの名前はまだ決まっておらず、このままでは名前がないまま一年経ってしまいそうだ。実際この半年、展示や演劇などいろんなイベントはやってきたものの、想い描いた形にはまだ遠く及ばない。それにこの地域を拠点に活動するようになってまだ半年、我々はまだ余所者なのだ。アトリエの掃除はなかなか進まないし、庭の草抜きは無限に終わらない、椎茸の菌入れ作業だって地域との交流には必要な苦労なのだ。私たちの世界で、生活を無視して作品だけ作っていれば良いなんてことはありはしない。
稽古のたびに外で草抜きをしていたら、横のお寺のご夫婦が挨拶してくれるようになった。家主の方に頼ってもらえるようになると、私たちも頼ることができた。冷蔵庫ももらったのも、ガスが使えるようになったのもそうだ。
生活も表現も、すべてはつながっている。
かつて我々が活動していた都市では、都市開発が進む。
劇場でどんな作品が生み出されているのかに、誰も責任を持てないでいる。
私は私たちの責任で意志のある劇場を作りたい。
都市は「私」で溢れかえっていて、
取り戻したいのは「私たち」という価値観、共同性なのだ。
私たちは都市との距離、そして関係性を生きていく。
そめごころ 代表
石田聖也